土俵開き祝詞
昭和13年(1938年)、軍用機エンジンを製造していた中島飛行機武蔵製作所の鋳造工場「中島飛行機株式会社荻窪製作所田無鋳鍛工場」が、現在の住友重機械工業田無製作所の敷地に竣工しました。
祝詞の文中には「中島航空金属株式会社田無製造所」と記載されているため、この祝詞は昭和14年(1939年)から昭和20年(1945年)の間に奏上されたものと推察されます。
この祝詞は、相撲の起源について言及しています。
祝詞文中には「角力の庭を造り設け」と記されています。「相撲」ではなく「角力」と表記されているのは、平安時代、宮中の紫宸殿南庭で行われ、歴代天皇が観覧した「角力の節」の行事を指すためと考えられます。また、「神代に建御雷神と建御名方神が力比べをされた時より始まり」とあります。これは出雲の国譲り神話における建御雷神と建御名方神の二柱による力比べを指しています。また、「人の世となり野見宿禰命と當麻蹴速が力比べをされた時より」と記されています。これは、第11代垂仁天皇の御代に対決した野見宿禰と當麻蹴速の故事を指しています。これらはいずれも相撲の起源とされる出来事であり、神話の時代から人間の世に移り、現代に至るまでの歴史の深さを語っています。
また、この祝詞は、田無神社の神々にではなく、それぞれの勝負の勝者である建御雷神と野見宿禰に対して奏上されている点が特徴的です。祝詞の後半では、相撲がこれほどの伝統を誇るのは日本人の勇猛果敢な国民性に起因するとしています。祝詞の終盤では、相撲に参加する力士たちの無病息災、技量の更なる向上、そして身体の発達が祈願されています。
余談ですが、祝詞の行間には「三和会防犯部主催三区商店会後援青少年相撲大会」と書き込まれており、他の相撲大会の安全祈願などにおいても、この祝詞が流用されていたことが窺えます。
金属特別回収に関する件
金属特別回収令により、田無神社では鈴や日露戦役記念碑前に設置されていた鉄棒を供出しました。現在、記念碑前の石組みに空いている穴は、その供出の名残りとされています。
この金属供出は、戦時中の金属資源不足を補うため、昭和16年(1941年)に公布された勅令に基づいて実施されたものです。戦局の悪化に伴い、学校や公園からは人物の銅像が、神社からは像や狛犬などが供出されました。
文中に記載されている「眞中 7貫 600匁 大鈴」とは、真鍮製の大鈴のことであり、1貫は約3.75kg、1匁は約3.75gであることから、約28.5kgもの大鈴が回収されたことがわかります。この重さから複数の大鈴を供出したことが推測できます。「眞中(真中)」とは真鍮を意味し、銅と亜鉛を混ぜ合わせた合金を指します。
兵器廠地鎮祭祝詞
この祝詞は、当時の田無神社社掌(宮司)であった賀陽賢司によって作文されたものです。田無町駅(現・ひばりヶ丘駅)の南方にあった田無自動車学校は、陸軍兵器本廠田無教育隊の訓練施設として使用されていました。
「兵器廠」とは、日本陸軍の機関であり、兵器の補給や大砲の工事などを担っていた部門です。この教育隊では訓練が行われ、その後、兵士たちは中国大陸へと配属されていきました。
この祝詞は、敷地内に新たな自動車修理工場を建設するにあたり、神前に奏上されたものです。明確な日付の記録は残っておりませんが、昭和13年(1938年)にはすでに教育隊の駐屯が確認されていることから、この祝詞も昭和13年から昭和20年(1945年)の間に斎行されたものと推測されます。
神社所蔵の刀剣に関する件

昭和17年(1942年)3月に発出されたこの通達は、陸海軍の協力のもと、刀剣や武具などの神社所蔵の物品を、軍需や国家運営のために譲渡・提供するよう求めたものです。
「軍刀報国」の精神のもと、軍刀を通じて国に尽くすという思想とともに、戦局を踏まえて国家資源の有効活用の重要性が強調されています。
敬神美談に関する件

この文書は、昭和17年(1942年)7月22日に、東京府学務部から出された「敬神美談」に関する調査依頼です。
戦時下において、国民が日常生活や戦争協力の中で、いかに神を敬う心を体現しているかについて、感動的な事例を各神社で収集し、報告するよう求めた内容となっています。可能であれば該当する写真の添付も求められており、調査の対象は特に「郷社」以上の神社とされています。
こうした美談の収集は、国民の意識を戦争に向けて統一し、精神面での支えとするための広報的な活動として位置づけられていました
軍人援護強化運動に関する件

昭和18年(1943年)10月3日から8日までの6日間を「軍人援護強化運動週間」と定め、戦地で奮闘する将兵を後方から支え、その士気を高めるために、地域社会における援護活動の充実が呼びかけられました。
この「軍人援護強化運動」は、戦地から帰還した軍人や、負傷した軍人・軍属に対して支援を行うことを目的とした全国的な取り組みです。
神社境内の樹木供出に関する件

この通知書は、昭和18年(1943年)5月に戦時下における資源供出の一環として、神社境内の樹木を供出できるかどうかの確認を求めた調査依頼です。境内の風致に支障のない範囲での対応を求めるものであり、各神社に対し、速やかな報告を行うよう呼びかけています。
神官神職等二對スル業務用衣料品購入票發給二關する件
こちらは、昭和17年(1942年)5月11日に、商工省繊維局長が地方の知事宛に送付した、「業務用衣料品購入規則」に関する書面です。
戦時下の日本では、生活に必要なさまざまな物資が不足するようになり、昭和17年(1942年)からは衣料品に関しても切符制が導入されました。しかし、太平洋戦争の激化に伴い、現物の配給はほとんど行われなくなり、制度は有名無実化していきました。
文中には、神職に対して次のような物品の購入が認められると記されています。
白衣一枚、または白衣一枚分の生地、白袴一腰、晒袢反んたん、白足袋六足がそれにあたります。ただし、伊勢の神宮および官国幣社の神職に対しては、これよりも多くの衣類の購入が認められていました。
実際に、田無神社では、三尺六寸五分の着丈の白衣一枚、白足袋六足、二尺二寸五分の白袴一腰を注文した記録が残されています。
そのほか、日供や祭礼で用いる御神酒についても配給制の対象となり、田無神社、尉殿神社、下保谷天神社では、大祭用として御神酒三本を東京府知事に要請した記録が確認されています。
大東亜戦争一周年記念行事に関する件

この文書は、昭和17年(1942年)11月16日付で東京府より発行された公文書で、「大東亜戦争一周年記念行事」にあたり、各地域の神社において祭典を実施するよう通知したものです。
なお、12月8日は日本軍が真珠湾攻撃を開始した日であり、「大東亜戦争」の開戦日として、戦時中は国家的な記念日とされていました。
戦時下における祭典実施指針

この文書は、内務省訓令第27号を受けて、昭和19年(1944年)9月7日に発出された通達であり、国家総動員体制下において、各神社で斎行すべき「必勝祈願」の祭典の内容を具体的に示したものです。
祭典は早朝または夜間に毎日行い、「大祓詞」を三巻奏上したのち、「必勝祈願詞」を奏上するよう指示されています。
映画興行申請書


この文書は、田無神社境内で行われた映画上映に関する申請書です。上映会は讀賣新聞社の主催により、昭和17年(1942年)7月7日の午後7時から午後10時までの3時間にわたり実施されました。
上映された作品は『讀賣ニュース第161輯〜164輯』『漫畵マー坊太閤記』『表日本唄の旅』『銀之丞出現』でした。
戦前のニュース映画は、国家の検閲を受けたうえで制作され、軍事訓練の様子や戦果の報告などを取り上げることで、国民の意識を統制し、士気を高めることを目的としていました。「漫画マー坊シリーズ」は、戦前に制作された国策アニメーション映画です。『銀之丞出現』は、主人公・銀之丞がヒーローとして活躍する姿を描いたアクション時代劇です。
日独伊三国同盟を受けた元旦祭祝詞

昭和16年(1941年)の元旦祭(歳旦祭)で奏上する祝詞が記載された通達分です。
祝詞の中には「ドイツおよびイタリアと強固な同盟を結んだ」と記されており、これはいわゆる日独伊三国同盟を指しています。日独伊三国同盟とは、昭和15年(1940年)に日本・ドイツ・イタリアの三国が、アメリカやイギリスといった列強に対抗するために結んだ軍事的な連携体制のことです。

























