大東亜戦争終戦奉告祭祝詞
この祝詞は、大東亜戦争終戦を奉告するものです。当時の田無町長・藤宮長壽朗氏(1)によって奏上されました。日本軍の奮戦を称えつつも、「戰局波思布爾任世受世界乃大勢亦我爾利有良受」と戦局の悪化を伝え、「更爾戰乎續介奈波國民悉爾滅盡伎」と、これ以上の継戦は日本国の滅亡を招く旨を奉告しています。さらに、「堪難乎堪閉忍難伎乎忍」と、終戦詔書を引用し、戦争の終結を告げています。
祝詞の後半では、国民が力を結集し、世界に遅れることなく復興することを祈願しています。
『東京都田無市立田無小学校創立百周年記念誌』(2)には、終戦後の神棚拝礼について、以下のような記述が見られるため、ここに紹介いたします。
「神棚があって神棚を拝んだり、敬礼をやったりしていたのですが、杉田校長が1週間くらい経つと、敬礼はもう止めようと言いました。21年になると、朝礼で号令をかけて並ばせていたのを、軍国主義の復活になると言ってやめたのですが、如何にも収拾がつかなくて、別に号令をかけてならばせても、軍国主義的にはならないだろうと言うことで、また並ばせたことを覚えています。」
(1)藤宮長壽朗氏は昭和18年(1943年)に42歳で町長に就任し、昭和21年(1946年)に退任するまでの2年11ヶ月間、町長を務めました。↑
(2)田無市立田無小学校(1974)『東京都田無市立田無小学校創立百周年記念誌』教育出版p.85↑
御本殿塗替記念札
この札は、西東京市住吉町に鎮座する尉殿神社において、昭和26年(1951年)9月に本殿の塗替工事が竣工したことを記念して製作されたものと考えられます。
令和7年(2025年)6月、戦後80年および昭和100年という節目の年に、74年ぶりとなる塗替工事が実施され、その際に尉殿神社本殿の屋根裏から発見されました。
札の裏面に記されている「世界講和条約」とは、昭和26年(1951年)9月に日本政府がアメリカやイギリスをはじめとする諸国と締結した、サンフランシスコ講和条約を指します。この条約によりアメリカの占領統治が終結し、日本は主権を回復して、独立国家として再出発することとなりました。
表面:「御本殿塗替記念」「昭和26年9月吉日」「神官 賀陽賢司」「塗装工 髙𫞎太一」と記されています。
裏面:「記 一 昭和21年、世界大戦に敗れ、以後米国の支配下にありたるも、昭和26年9月、世界講和条約締結となりたるに付、日本再出発の為、平和記念として御本殿塗替す」と記されています。さらに、10名の氏子総代の名前が連なって記載されています。
戦争終熄奉告祝詞


昭和20年(1945年)9月7日付の内務省令の発令を受けて、9月11日に発出された「戦争終熄奉告祝詞」に関する通知文書です。
この通知では、祭典を祈年祭や新嘗祭と同様に、大祭式で斎行するよう指示されています。また、神祇会から各神社へ幣帛料などが支給される旨も記載されています。
祝詞文中には、国を挙げて世界の進展(ススミ)に後れを取ることのないよう、力を尽くして取り組む旨の誓いが述べられています。
昭和20年(1945年)8月30日、アメリカのマッカーサー司令官が日本に到着し、続く9月2日には東京湾に停泊していたアメリカの軍艦「ミズーリ号」の上で、日本が正式に降伏する文書にサインしました。これによって、すべての戦いが終わりました。
GHQによる「必勝札・武運長久札」等の廃棄の指示


これらは昭和21年(1946年)に「田無町役場」および「神社本庁」から発出された通知書であり、いずれも戦時中に行われた必勝祈願や武運長久祈願などの祭典で用いられた札類の廃棄を指示する内容となっています。
特に「田無町役場」からの通知書には、「連合国司令部からの注意があったことを申し添える」との記載が見られます。
なお、昭和20年(1945年)12月15日に連合国軍総司令部(GHQ)が日本政府に発令した「神道指令」は、国家と神道を分離することを目的としたものでした。これにより、「国家神道」は解体され、神社は国家の管理から離れ、宗教法人として独立することが求められました。
こうした必勝札や武運長久札の廃棄指示は、神道指令の影響として出されたものであると考えられます。








