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お知らせ


2020年 3月 21日(土)

■ 御遷座三五〇年奉祝事業「境内保存修理工事」のお知らせ

「鎮守のもりを守る」

田無神社 宮司 賀陽智之

御遷座三五〇年奉祝事業である境内保存修理工事が始まりました。この事業は参拝者皆さまの安全を主要な目的とした改修工事で、約半年間にかけて行われる大規模なものとなっております。本殿裏山のくすのき剪定工事は3月末までに完了する予定です。4月以降、本殿裏山の土留め工事、社務所外壁及び屋根塗装工事、手水舍改修工事を行って参ります。改修中は安全を最優先に工事を行いますが、足場を組みなどをして作業を致しますため、、ご祈願やご参拝にお越しになる方にはご不便・ご迷惑をおかけすることも予想されますので、事情ご賢察の上ご了承くださいますようお願い申し上げます。工事の詳しい内容や工事の様子は、ホームページを通してご案内して参りますので、ご参照ください。

西洋に「木を見ている者は森を見ることができない」という諺がある。この諺の意味とは逆に、森の全体像を掴もうとして、遠くの山に登り俯瞰で見渡しても、小川のほとりにひびく鳥のさえずりや、一生を謳歌するように、ここかしこで鳴く力強い蝉の鳴き声は聞こえない。森の全容を把握するためには、木々から少し離れ、後ろにさがり、森から一歩外に出て、歴史的コンテクストを踏まえながら、辺りにあるたくさんの木を視野に入れる必要がある。

計りしれぬ日本の恵みの中で、生きとし生ける者の全てに萌え出る春があり、燃え盛る夏がやって来る。やがては実りの秋を迎え、冬の寒さを凌ぐために身支度をすませる。我々は四季の移ろいに敏感で、自然に対しての感受性が鋭い。四季の変化が自然の様々な表情を生み出す森において、日本人は、儚いもの、質素なもの、空虚なものの中に存在する美しさや情緒を心で感じとることが出来る。長い時間を経て大自然によりもたらされる樹々の萎えや、降雪によってへし折られた樹木にさえも、趣があると感じるかもしれない。

四方を街道に囲まれた田無神社では樹々はその手を存分に広げることができない。背が伸びすぎた木は倒木の恐れから頭を芯止めされる。空梅雨であればたっぷりの水を老木に飲ませ、神社に越してきたばかりの若木には定期的に肥料を食べさせる。それぞれの葉へ太陽光が届くように日常的に手足を剪定し、土砂災害を防ぐために斜面に下草を着せる。管理されるのは時の経過と共に木が大きくなるからであり、間引くための伐採がされるのは健全な樹林へと導くためである。

神職は「神様」という言葉を補助線にして「もり」を考える。それは杜(もり)を語るにしても森を語るにしても我々にとっては主語が神様であるからだ。杜は本殿にご祭神がお鎮まりなる神聖な場所である。一方、森にははるか昔より神宿るものとして、木や岩、川、滝などの自然物がおまつりされている。ありのままの自然が残る「山そのもの」がご神体である「杜」は稀な存在である。たいていの杜(やしろ)には神域に社殿などの建造物を有する。

町の発展とともに少しずつ杜(もり)は変化する。街中にある田無神社では、境内をひっきりなしに参拝者が通行し、隣接する街道は昼夜問わず車が往来する。もしも通行人に枯れ枝が直撃したら命の危険性があるし、青梅街道が台風でなぎ倒された樹木によって塞がれてしまったら大渋滞を引き起こすであろう。都市型の神社の杜を守るためには、ありのままの自然を残すのではく、必要に応じて木々に手を加えることで地域との共存を目指す必要性があり、「森林の育成」以上に「森林を管理」をすることの方が重要である。

昨年、地域の生態系を保護し促進する目的で境内に水辺のビオトープが創出された。多様な生物の復活を期待し、生物の生息環境を人工的に作ったのである。まさに都市型の神社にとって鎮守の杜とは人間の手によって管理された自然なのである。本年十月十一日に田無神社は御遷座三五○年を迎える。整備された美しい杜の中で、節目の年を迎えた感謝を神様にご奉告したい。

 

 

 

 

 

 

 

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