田無神社

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開かれた神社

2015年 12月 30日(水)

■ 「一楽萬開札」について

※ 一楽萬開の札

一楽萬開札を受ける事により、龍神様より最初の楽をいただけるといわれています。この最初の楽を一楽と言い、一つの楽が次の楽を呼び次々に楽が集まり、「萬の道」すなわち人生が開かれることを一楽萬開と言います。楽とは身や心が楽しくなることであり、すなわち生活や心身が豊かに健やかになることでもあります。11月23日(新嘗祭)から2月3日(節分祭)の期間に社務所にて授与しています。家の玄関もしくは、年の吉方にお祀り下さい。一楽萬開札を受ける事により、龍神様より最初の楽をいただけるといわれています。この最初の楽を一楽と言い、一つの楽が次の楽を呼び次々に楽が集まり、「萬の道」すなわち人生が開かれることを一楽萬開と言います。楽とは身や心が楽しくなることであり、すなわち生活や心身が豊かに健やかになることでもあります。

2015年 12月 30日(水)

■ 手裏剣戦隊ニンニンジャー絵馬頒布について

絵馬残り50体(12月30日現在)

『手裏剣戦隊ニンニンジャー』巨大絵馬除幕式が10月12日の14時より田無神社境内にて斎行されました。

式典は、安倍首相夫人の安倍昭恵様、東映テレビ・プロダクション株式会社日笠社長、株式会社文協稲川会長兼社長、をはじめ大勢のご来賓の方々の見守る中、盛大に執り行なわれました。

今年七五三を迎えられるお子様方をお祝いして、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」の幅4メートルもの写真撮影用特大絵馬を、東映株式会社様、株式会社文協様がご奉納下さいました。東映株式会社さま、株式会社文協様には、ご奉納いただきましたことに対しまして心より御礼申し上げます。「手裏剣戦隊ニンニンジャー」の巨大絵馬は、七五三のご参拝にいらした皆様が自由に記念写真を撮影いただけるスポットとして、10月12日(月)より、11月末まで境内に設置いたします。なお、この巨大絵馬の設置を記念して、「手裏剣戦隊ニンニンジャー」一般参拝者用絵馬を9月末から500体限定で特別頒布いたします。

2015年 12月 30日(水)

■ お正月おみくじのご紹介

かわいいおみくじをご紹介いたします

2015年 12月 30日(水)

■ 御朱印帳が新しくなりました

かわいい御朱印帳が出来ました.

2015年 12月 30日(水)

■ シリーズ境内社 野分初稲荷神社

野分初稲荷神社は田無神社本殿右横に鎮座されています。その縁起をご説明いたします。室町時代の終りの頃にこの地に白い狐が現れました。村人たちは大変珍しがりその話題で持ちきりになります。若い衆が集まり話し合い、捕まえようという事になりました。若い衆は銅鑼や太鼓を叩いて追い込みました。狐は素早く逃げましたが段々と追い込まれてゆきます。もう少しで捕まえられるという時になると決まって大風が吹き、嵐がやってきました。とうとう白い狐は捕まえられる事無く姿を消してしまいました。そして月日が経ち白い狐が人々から忘れ去られようとし六十年くらいたった頃再び白い狐が現れました。すると若い衆は再び捕まえよう言い出します。六十年前の出来事を知っている年寄り方は止めましたが血気盛んな若者は話を聞きません。再び狐狩が始まりました。若い衆は包囲を段々と狭めて追い詰めて行きました。その際にも大風が吹き嵐がやってきました。若い衆はそれでも追い込み続けますと狐は堪らず穴に逃げ込んでしまいました。不思議な事に穴に逃げ込んだまま数日経っても出てきません。若い衆は穴の前で待ちましたがとうとう出て来ないまま消えた様に居なくなりました。村人等は不思議がり「お稲荷様の化身じゃないだろうか?」と思いました。そして庄屋様の下田さんが江戸から神職を呼び穴の前でお稲荷様として鎮座する様に祭祀を執り行いました。祭儀が終わったところ、それまで晴天だったのが急に黒い雲がもくもくと現れ風が吹き始めました。下田さんは「まだ何かご不満があるのではないでしょうか?」と神職に聞きますと「それでは正一位の位をつけたらどうでしょう。」とのお答え。穴に向かって「正一位をお付けします」と言うと風は止み黒い雲も無くなりました。『野分』とは台風の古称です。嵐を起こす稲荷様という意味で『野分初稲荷』と名付けられました。この穴の場所が現在の下田家にある野分初稲荷神社であると伝わっています。ここから御分霊を田無神社境内末社に御遷座致しました。現在は本殿右横に御鎮座していますが、元々は現在の東側参道のところに御鎮座していました。平成に入りお社の御移動と共に遷座祭を執り行いましたがその際にも御神体の御移動の時に急に大風が吹き大雨が降り神職は全員ずぶ濡れになって御奉仕しました。

また野分初稲荷神社のお社は田無神社本殿が安政五年(1858)に建て替えられる以前の旧本殿と伝わっておりました。東日本大地震の影響で御本殿の土台の石垣が崩れてしまい修復したおり石垣の内側の土より一抱えほどの石が一つ出て来ました。恐らく鎮物として埋められていたと思われます。この石はよく見ますとうっすらと四角い木渋が着いております。旧本殿の柱を支えていた礎石と思われます。この四角の大きさと現野分初稲荷神社の柱の大きさがほぼ一致しましたので、旧本殿と改めて確認されました。現田無神社本殿が完成するまでの間、ご本殿として、御霊が鎮まり田無の町の守り神だったことでしょう。

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