宗教施設における禁煙の倫理について(イ ントロ)
宮司の発表 
 9月19日(日曜)14時40分〜15時50分
 シンポジウム「宗教施設のタバコ対策」
 場所 愛媛県松山市 総合コミュニティーセンター
 
   宮司の演題・抄録
    

  宗教施設における禁煙の倫理について

 

    田無神社 宮司 、武蔵野中央病院 顧問医師 賀陽  濟(かや わたる

 

 喫煙の身体への害については医学的に膨大な研究がある。精神医学の領域でも、依存、嗜 癖という観点から研究が進んできた。

一方で、私は、主に北米(カナダ)先 住民との交流から、彼らの信仰、伝統、文化とタバコが分かちがたく結びついていることを周知している。今でも、彼らにとってタバコは儀式にさえ用いる神聖 な存在である。

 20世紀初頭、米国禁酒法の壮大な失敗があった。これらの事例を鑑みると、喫煙がいか に身体に諸害あろうとも、生活にリンクして続いてきた限り、禁煙を成文法化することの難しさは窺い知れよう。法律という領域に抱え込むだけで事足りる問題 では決してない。

 また、学問として捉えた場合でも、はじめに「喫煙は悪」というテーゼを立てて論じれ ば、極めて話は分かり易くなるものの、学問としての深みを欠くであろう。いや、学問にさえならないかもしれない。禁煙運動を推し進めるためのプロパガンダ にはなるが、喫煙の問題性を論じるには、いささか底が浅いと言わざるを得ない。

「喫煙は悪」から出発する論法では、 社会的なムーブメントとしての禁煙は進むであろうが、「周りに迷惑かけなければ、吸うのは私の勝手でしょ」のごとき、素朴な言い草にも意味ある反論をする のは難しいだろう。

医学、宗教はもちろんのこと、歴史、 伝統、文化、風土を踏まえた、喫煙さらには禁煙の学を深めていくことが、喫緊に必要であろうと私は考えている。

今回はとりわけ禁煙の倫理の可能性と 限界について論じ、宗教施設での禁煙の意味について私なりに考察したい。誠にささやかな考察に留まることをお許し願えれば幸いである。

さらに、時間が許せば、田無神社での 禁煙の方法論と具体的な方法についても若干ではあるが触れてみたい。


アボリジナルな心へ
その@ 北米スーク族 との出会い   (2009年1月号転載)
そのA 準備の旅、「イタリア紀行」 (2009年2・3月号 掲載)
そのB 白頭鷲の舞う空に            (2009年6月号掲載)

※春秋社の御配慮により掲載の運びとなりました。


日本人の死生観と精神分析
 日 時:平成20 年9月11(木) 午後2時〜3時
  場 所:講演会場:  多摩交流センター
     遠隔視聴会場:むさしのヒューマン・ネットワークセンター

多摩発第55回 全国生涯学習ネットワーク遠隔学習講座にて行われた
宮司の講義が映像付で聞けます。

御覧になりたい方はこちら  

テーマ:日本人の死生観と精神分析
講 師:賀陽 済氏(かや わたる)
    精神科医、東京大学元客員教授、田無神社宮司
主 催:NPO全国生涯学習ネットワーク 
     中央コリドー高速通信実験プロジェクト推進協議会(CCC21)
共 賛:TAMA市民塾、東京雑学大学、小金井雑学大学、シニアSOHOむさしの
支 援:(財)東京市町村自治調査会 多摩交流センター

講演要旨
 
近代合理主義を背景とする欧米の精神医学、とりわけ精 神分析を、異なる文化を
基礎に持つ人々(例えば日本人)に無理に適用することが、実は困難であることを、
死生観の違いを比較することによって論じる。
 さらに心についての学の可能性について論及したい。



北米先住民(スーク民族)の死生観(あるいは 世界観)とその現代的意味


「北米先住民族(スーク民族)の
死生観(あるいは世界観)とその現代的意味」
     2009年6月25日  賀陽 濟(かや わたる)精神科医、田無神社宮司
  
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
 Today is a very good day to die        
今日は死ぬのにもってこいの日だ
Every living thing is in harmony with me  
いきているものすべてが、わたしと呼吸をあわせている
Every voice sings a chorus within me    
すべての声が、わたしの中で合唱している
All beauty has come to rest in my eyes    
すべての美が、私の目の中で休もうとしてやってきた
All bad thoughts have departed from me   
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった
Today is a very good day to die       
今日は死ぬのにもってこいの日だ
My land is peaceful around me       
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている
My fields have been turned for the last time 
わたしの畑は、もう耕されることはない
My house is filled with laughter       
わたしの家は、笑いに満ちている
My children have come home        
子どもたちは、うちに帰ってきた
Yes, today is a very good day to die      
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ
            Nancy Wood           ナンシー・ウッド(訳 金関寿夫)
1 序論
@目的
現代社会に生きる人々が、「より豊かな」死を迎えるにはどうしたらよいで
しょうか。北米先住民族たちが今に生きる「アボリジナルなこころ<賀陽>」に触れ、体感し、認識することを通して、各々の心に内在する「アボリジナルなこ ころ」を覚醒することがその重要な契機になると私は思います。その事を本論で提示したいのです。
「アボリジナルなこころ」の覚醒とは、primary sense(原初的感性)の覚醒と言っても言い過ぎではないと思います。
以上を、見田宗介先生の「軸の時代T、U」を援用して論じるため、本論は一種の文明論に近くなるでしょう。
また、精神分析の間主観的アプローチを援用して、死生学の方法として、独自の間スピリチュアル・アプローチ(賀陽)を展開するので、島薗進先生のスピリ チュアリティ論、竹内整一先生の「あわい」「おのずから・みずから」論とも関係して来るでしょう。

Aaboriginalアボリジナルとは
aboriginalという言葉は、接頭語abとoriginalに分かれます。もとはラテン語で、「初めからの」という意味があります。北米先住民族は インディアンと呼ばれていたが、今日ではaboriginal people 、あるいはFirst Nations(初めからこの地に住めるもの)。そう呼ばれているのを忘れないでいてください。

B
「aboriginalなこころ」とはprimary sense<賀陽>に立脚して生きるこころ。
primary sense 、日本語にすれば原初的感性とは、人をも含め大自然に「いのち」が宿ると感じ、畏怖する感性のことです(それをsense of wonder と呼んでもよいが、primaryという言葉をキーワードとして用いたいので敢えてprimary sense と呼んでおきます)。まずは、以上のように大づかみにとらえておきましょう。

2 スーク民族との出会い Dances With Eagles
1)    ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)での講義と祭儀
     先住民学部があり、ロングハウスを付設
わたくしごとで恐縮ですが、2005年4月のこと、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学(以下UBCします)、UBCの心理学科で公開講座をす ることになりました。プロフェッサーは石山Ishu先生です。自分は客員講師として講義だけをすればよいのだろうと思っていました。日本人の死生観と、大 陸仏教に生きる人々の死生観と、一神教に生きる人々の死生観、を比較し、それが精神分析、精神医学の実践に、どのような影響を与えているのか、という講義 です。補足になりますが、日本の仏教の受け手は、日本的に大きく変容した仏教を信仰している。そこで私は、日本の仏教の死生観を、括りとして「日本人の死 生観」の中に入れました。海外へ行けば、このテーマで必ず話しているので、講義そのものはそれほど苦ではありません。
ところが、日本で準備している際に、UBCの先住民学部の神殿(ロングハウス)で、先住民族と共に儀式をして欲しいという依頼が入ってきました。そのあ と、簡単なレクチャも求められました。その依頼の重みに、軽い眩暈を感じたのですが、個人的には「来るものが来た」という感慨が湧いてきました。ここから 先住民族の人々との旅が始まります。

2)    ブリティッシュ・コロンビア州150周年の祭り
      T’Sou-ke Nationでの祭り(2日間)への神職としての参加
2008年はブリティッシュ・コロンビアがイギリスの植民地になってから150年になる祝いの年でした。各地で、いろいろなイベントやセレモニーが行われ ていました。しかし、この祝いの年こそ、先住民族にとっては白人から凌辱を受けてきたメモリアルな年でもあるのです。スーク民族の居留地で行われたセレモ ニーに私は呼ばれ、奇しくも2日間の祭りの初日の儀式を任されました。
彼らの名誉のために言い添えたいのですが、彼らは祭りにおいても白人を拒絶していない。むしろ、許容さえしている。私は、そのことに疑問を抱き、問うてみ たが、forgiving spirit つまり、許しの心が大切という答えが返ってきました。

3 北米先住民族の分布(スライドにて説明)
4 北米先住民族の宗教
1)    口承や儀式を通して、次の世代につなげます。
2)    The Creator(Great Spirit ,Great Mystery)とは       
もっとも神聖でおおいなるものです。一神教的な人格神ではありません。
それ以外に、この世を想像した「文化的英雄」が重要です。                       
3)    Mother Earth を尊敬し日々に感謝します。万物に「いのち」「霊」がみなぎっているのです(cf.神道の自然崇拝、仏教の山川草木悉有仏性, に極めて近いこころのあり方です。ショショニ民族のコービン・ハーニーが言うように「先住民の道とは万物に祈ること」なのです。)
4)    Vision(聖なる幻視)を、また夢を尊重します。 
 Vision、夢を通して聖なるものとつながることを重んじます。
 そのためのプロセス、方法をVision Quest、Dream Questと呼びます。
5)    Shaman(Healer, Medicine Man(Woman))とは、
部族に尽くすようにとGreat Spiritから選ばれたもので、Visionなどを通して予知、癒し、問題解決などをおこなうものです。
6)    Chiefとは、部族をまとめ、スピリチュアルに指導します。 
7)    ポトラッチとは富の分配の聖なる儀式です。スウェット・ロッジとはテントの中に水蒸気のみなぎる焼き石をいれ、太鼓、歌、口承などによって、迷える人々を 清めたり、霊的に指導したり、癒したりする聖なる儀式です。このときもVisionをうることが、きわめて重要です。
8)    死生観
      この世とあの世を循環する死生観を生きています(死んで先祖となり、再生して子孫となる円環の死生観をいきているのです)
          「死は存在しない。ただ、暮らす世界が変わるだけだ」
       という「スクワミシュ民族」の言葉があります。
現在、キリスト教との和合が見られます。
  Great Spiritをキリスト教の神とみなします。しかし、先住民の信仰・儀式が尊重され、両者は並存していることが多いのです。

ここまでをまとめると、「先住民の道とは、万物に霊性を感じ、祈り、生きることこと」言ってよいかもしれません。その中でも私は「アボリジナルなこころ」 とprimary senseに着目しました。

次へ行きましょう。
5 北米先住民族の世界観の現代的意味
1)軸の時代T、 U    (見田宗介)

 @ ロジスティックス曲線の比喩
見田は、生物学で用いるS字型の曲線(ロジスティックス曲線)を比喩としてたくみに使用して論じています。たとえば、シャーレの中の培地に細菌を一株入れ ておくと、最初はゆっくりと、そして、ある段階で急激に増殖します。しかし、その後、臨界期に達して、増殖は停滞します。個体数を縦軸に、時間を横軸にと ると、そのプロセスはきれいなS字型の曲線と必ずなります。このようなロジスティックス曲線になるのは、シャーレの中の培地が、閉鎖系、つまり「有限性」 を持つからである。キーワードは「有限性」です。仮に、シャーレが無限の大きさを持っていたら、ロジステウィックス曲線にはなりません。

 A 「軸の時代」と「軸の時代T」(見田宗介)
精神科医で、哲学者のカール・ヤスパースが、文明論的見地から「軸の時代」という言葉を用いました。ヤスパースはBC5世紀のころを想定していたようで す。
「軸の時代」を下敷きにして、見田宗介は「軸の時代T」を想定します。つまり、5大文明が出揃ったころ、BC5世紀ごろに限らず、3000から2000年 ほど前、精神史においても、ギリシャ哲学、仏教、儒教、キリスト教など、その後の時代の礎となる思想、宗教が生まれました。その時代を見田は「軸の時代 T」と呼ぶのです。

 B 「軸の時代U」
近・現代の潮流は、急激な人口増加、資源の枯渇、環境破壊、食料危機などを引き起こし、今や人類は危急存亡のときにあります。そのような現代を見田は「軸 の時代U」と呼び、急勾配を描く時代の流れに掉さし、勾配をなだらかにする、もっと言えば減衰させることが早急に必要であると強調します。さらに、「世界 の有限性」を引き受ける思想の枠組みと、社会のシステムを構築することが喫緊のテーマであると述べます。キーワードは「世界の有限性」です。
ちなみに、20世紀前半までは、「世界の有限性」はほとんど着目されていなかったといってよいでしょう。例えばフロイトも「自然科学的世界観」によって明 るい未来がやってくると、1917年頃までとても楽観的に考えていました。

 Cさらに人間主義は人間主義を超える思想によってしか支えられない、と述べますが、これは、軸の時代Tの人間主義の思想だけでは、軸の時代Uの思想を構 築できないということでしょう。

2)軸の時代T’ (賀陽)
 軸の時代T、Uをさらに解りやすくするために、軸の時代T’を想定したいと思います。デカルトの心身二元論に始まる、近代合理主義の幕開け(17世紀で すね)、その頃を軸の時代1’と呼びたいのです。なぜなら、心身二元論を契機として、その後、自然科学的世界観が、産業革命の力も得て、怒涛のごとく展開 するからです。思想史的には、必然的に唯物論が生まれ、神の名による戒律・規範は弱体化し、もはや自然科学的世界観を統御できなくなるのです。ここに「世 界の有限性」を無視した近・現代の潮流が、堰を切ったように流れ始めます。
「世界の有限性の無視」がキーワードです。

3)二重らせん構造、多重らせん構造と「アボリジナルなこころ」

 @ 見田の五層構造論
見田は、人類史を0次産業革命から4次産業革命によって切り開かれてきたものであるといいます。0次産業革命の結実は<道具>と<言語>、1次産業革命の 結実は<農耕>と<牧畜>、2次産業革命の結実は<工業>生産、3次産業革命の結実は<情報化>(「現代社会の理論」見田、岩波書店)、そして現代は4次 産業革命を迎える。そして、これらの産業革命に5層のステージを対応させました。つまり、生命性、人間性、文明性、近代性、現代性です。それらは「継起 的」でなく「重層的」だといいます。つまり、ひとつのものが死滅して、次のステージが現れるのではなく、ひとつのものが生き続け、その上に立って、新しい ステージが展開し、積み重ねられるということです。

A 2重らせん構造、多重らせん構造の比喩(賀陽)
5層構造としてモデル化すると、スタティック(静的)にならないでしょうか。たとえば、縄文期の上に弥生期が重層構造のように乗っているとする日本史の捉 え方のようにスタティックにならないでしょうか。このような見方では、対立、和合を繰り返す縄文的なものと弥生的なもののダイナミックな関係を見過ごしや すいのです(「いま日本の心を問う」賀陽ら、原書房)。私は、縄文的なもの、弥生的なものは二重らせん構造のように相補的に絡み合い、現代にも生きている と考えます(それは、たとえば、江戸期の初めに、建築ならば、縄文的な日光東照宮のような権現造りと、弥生的な桂離宮のような数奇屋造りが互いに関連しな がら立ち現れることにも見られます)。同じように、見田のいう5層は、多重らせん構造のように絡み合い、ダイナミックな関係を保ちながら現代にも生きてい るのではないでしょうか(「継起的」でなく「重層的」という表現で、見田も同様のことを言わんとしています。しかし、「重層的」という言葉では、相互のダ イナミックな関係を表現しえないと思うのです)。

B 多重らせん構造の生命性、人間性の紐の復権
 この多重らせんの、近代性、現代性の紐が肥大化し、生命性、人間性の紐が薄れてきたのが「軸の時代U」、つまり現代なのではないでしょうか。生命性、人 間性の紐を私は「アボリジナルなこころ」と呼び、とりわけ先住民族の中に見てきたのかもしれません。そして、その復権を唱えてきました。私は、近代性、現 代性を否定するものでは決してありません。しかし、生命性、人間性、つまりは「アボリジナルなこころ」という紐が復興することによって、多重らせんはいわ ば「ゲノム」としての「いのち」を吹き返し、自ずと新たな時代の世界観、ヴィジョンを生成してゆくと信じるのです。
 それにはまず自分自身に内在する「アボリジナルなこころ」さらにはprimary senseの覚醒が必要でしょう。

<3)の試みの一例として>
4)地球環境問題への提言(精神分析と「アボリジナルなこころ」を繋げる試み)    
@ all good 、 all bad な母親像の統合
精神分析おけるクライン派や対象関係論の考えに従えば、乳幼児の心の中では、自分の欲求を満たしてくれる「よいall good」母親像と、欲求不満を招く「わるいall bad」母親像に分割されているといいます。ウィニコットによれば、発達に伴い、「わるいall bad」母親像に向けていた「無慈悲ruthlessness」な攻撃を「ほどよくgood enough」受け止める母親像が、実は「よいall good」母親像でもあったことに乳幼児は気づきます。このとき「concern(思いやり、ああ済まなかったという気持ち)」が生じるのです。さらに、 このとき「つつしみ」の感覚も生まれると私は考えます(賀陽、「つつしみ論」)。

A「内的対象としての母」と「環境としての母」
メラニー・クラインの弟子であるウィニコットは、クラインの重視する「内的対象としての母(つまり、心の中の母親像)」ばかりではなく、実際に乳幼児を抱 える「環境としての母(母を抱える父・家族、共同体、・・・と乳幼児を抱える環境の輪は広がる)」の重要性について論じた。

B「環境としての母」の痛みとConcernの発生
無慈悲な攻撃に晒されていた「内的対象としての母」の痛みに気付くとき、乳幼児の心の中にConcernが生まれます。同時に、乳幼児は「環境としての 母」の痛みにも気付き、Concernをさらに発達させるのです。

 C「環境としての母」としてのMother Earth
 「環境としての母」のイメージを大きく拡大して、環境としての地球、ガイア、本論ではMother Earthを考えるとき、私自身が抱えられている乳幼児の立場にあることに気づきます。際限もなくMother Earthに甘える自分。知らぬうちに破壊的ともいえるほど際限のない「甘え」を、野放図に撒き散らす自分に気づくのである(割り箸を次から次へと使い捨 てたりしていませんか、ペットボトルを道に捨てたりしていませんか)。

  DMother Earthの痛みとConcern
 このとき、大切なのはMother Earthを想うimaginaryなこころといってもよいでしょう。攻撃的で、際限のない「甘え」を受け止めてくれている母の痛みを想像する imaginaryなこころです。母の痛みに気づいたとき、「Concern思いやり」や「つつしみ」の感情が湧いてくるでしょう。想像を逞しくしてみま しょう、同じことなのです。Mother Earthの「痛み」に気づき、想うとき、Concernや「つつしみ」の感情が湧いてくるでしょう。「つつしみ」とは、キーワードである「限界」や「有 限性」を尊ぶこころです。
 
 E地球環境問題への提言
Mother EarthへのConcernと「つつしみ」から出発すれば、「世界の有限性」を前提としたあらたな思想・世界観が構築されていくでしょう。そのことに よって初めて、国益の攻防や、表面的な言葉だけではない地球環境問題への本格的な取り組みが始まると信じるのです。

6 北米先住民の死生観、世界観の
死生学における現代的意味
1)    スピリチュアリティのさらなる省察に繋がる可能性(島薗進)
2)    ターミナル・ケアにおけるinterspiritual approach
間スピリチュアル・アプローチ(賀陽)の提言
(現代精神分析の)間主観的アプローチにおいては、関係性の中に個が「みずから」そして「おのずから」(竹内整一)立ち上がると考えます。間主観的アプ ローチの立場に立てば、精神分析における自己理解は、他者との関係の中に立ち上がる自己として把握されます。

 ターミナル・ケアにおける自己理解も同様であると私は考えています。ただし、死生という、抜き差しならない極限での自己理解は、ego, selfの理 解を突き抜け、soulさらにはspiritualityの位相まで問われうるでしょう。

 死に行くもの、ケアをするものがどのような死生観を事前にもっていようとも、(無神論も一種の死生観であることを付言しておきます)、己の死生観を他者 に押し付けるのではなく、他者の死生観を尊重するという立場でケアをするならば、両者の間(はざま)、竹内先生流に言えば「あわい」の中に、「いま、こ こ」で現存する「生きた死生観」が立ち現れます。そこに、より「豊かな死」が招来されると考えます。このような理解に基いた方法論を interspiritual approach間スピリチュアル・アプローチと呼びたいのです(配付した英文を参照してください)。
このとき死に行くものとケアをするものの関りは、必然的にspiritualな位相という深みにまで降り立っていくでしょう。この様な関係を持つことは容 易ではりません。知識も技法も必要です。しかし、何よりも大切なのはなのは、ケアするものが己のspiritualな位相を問われているという認識(と覚 悟)にちがいないと思うのです。

その際、spiritualな心を生きる、もっといえば、「アボリジナルなこころ」あるいはprimary senseを日々生きる北米先住民族の人々に学ぶところは大きいのです。
7 謝辞
 本日、貴重な機会を与えてくださった、島薗進教授、竹内整一教授を初めとする東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」の皆様、そし て、本日司会の労をおとりくださった清水哲郎教授と上廣死生学講座の皆様に感謝します。また、本日、ボランティアで通訳をしてくださった駿河台大学のポー ル・マッカーシー教授、竹中弥生教授に感謝します。
 カナダより来日して くださった北米先住民スーク民族のチーフ、ゴードン・プラネス氏、ヒーラー、シャーリー・アルフォンス女史に深謝します。


                                                                                                                                         
宮司コメント:W君、これは論文じゃ無くて先日東大の講義で使ったレジェメだ よ!!
 Wコメント:すみません、ぜんぜん読んで無いので気付きませんでした(^^;ゞ
宮司コメント:そう言えば、君は講義の時、助手なのに寝ていたね
 Wコメント:ちゃんと起きてましたよ!!最初の内は!!

                                                                                                                                      TOPへ

このサイトの一切の画像・テキス ト・素材などの著 作権、版権は賀陽濟にあります。複製、ダウンロード等を禁止します。
Copyright(C)2002-2007 Tanashijinja. Allrights reserved.